若潮マラソンで 2019.1.27 |
2019年若潮マラソン35kmくらいか。 左のハムストに明瞭な痛み。しばらく我慢したが、悪化する一方。 痛みで走れなくなり、止まってストレッチ。ダメ。 1分ほどすわって休憩。ダメ。 「痛いけど動かせる」というレベルだったので、ゴボウ抜かれながら走った。 フィニッシュ直後は「ハム損傷」という自覚はなく。 帰宅の車の中でタダの使いすぎの痛みではないことに思い至った。 帰宅後にアイシング。ロキソニンテープ。 |
完休 1.28〜 |
スイムと上半身の筋トレのみ実施。 |
スロージョグ開始 1.30〜 |
圧痛はあるが、良くはなっているので、スロージョグ開始。20分から。 1/31 40分。 2/1 60分。 2/2 80分。 2/3 100分。 2/4 120分。 スピードを上げると痛みが出そうだが、徐々に良くなってるかな? |
完治? 2.6 |
ためしにハムストの筋トレとスクワットをやってみたら、痛みなくできた。 治ったとみていいかな? |
まだだ 2.7 |
ヤッソ800。抑えて走った。8本目まで問題なくできたが、9本目。痛みがON。中止。 トコトコと帰宅。アイシング。 1時間おいて、バイク33km。痛みはひどくならなかったのでよかった。 用心のため湿布。明日は金曜なのでジョグ5kmだけだ。 |
初の肉離れ 2017.3 |
2017年3月は寒かった。それでも例年通りバイクの朝練を開始した。 3月末のある日、右脚を踏み込んだ時腰の左後部あたりに「ピリッ!」ときた。 その後、バイクのぺだリングや、体をねじる、階段を上る等のときにピリピリとした痛みを感じるようになった。 痛くて動かせないというほどではないが、不快な痛みだ。 通常の腰痛とは違う。ようやく調べる気になったのが4月の始め。どうやら「肉離れ」らしい。 受傷直後はアイシングとのことなので、遅ればせながら冷やす。 モーラステープもベタベタ。 |
完休2日 2017.4.8-9 |
階段を上るときの痛みが増している気がする。 今は、ランニングは問題ないが、悪化したらマズイ。富士五湖も川の道もある。軽いうちに治そう。 4月8〜9日は完休とした。幸い天気も一日雨。 |
すぐ再開 2017.4.10 |
バイク朝練50km。始め10kmはアップのつもりで。ときどき痛みがくるが、それほどひどくはなく、後半には軽減した。 タイムもシーズンベスト。 |
脚の使い方変わったか・・・? 2016.3 |
2016年3月頃のことだと思う。今となっては曖昧だ。 はじめはハムストの上の方、お尻の付け根あたりの軽い痛みだった。腰の痛みはあまりなかった。 練習の後に痛むので、左脚の使い方が変わったのかな?と思っていた。 ちょうどバイクの朝練が始まったころで、DHポジションでペダルをこぐせいかと思ったりもした。 4月から富士五湖、川の道、野辺山、彩の国とほぼ2週間おきにレースをこなした。 彩の国が終わってみると、左脚の痛みに加えて腰も痛い。両方とも無視できないくらいになっていた。 もしかしたらと、ネットで調べてみると・・・? 「坐骨神経痛」の症状に符合するではないか。片脚だけ。腰痛を伴う。でも痺れはないぞ、と思っていたら、夕方になって左足裏に痺れが出た。 |
ひとまず安定 2017.4 |
幸い「痛くて走れない」という状況になることはなく。「対策はストレッチ」ということなので、ストレッチを始める。これまでとは違い、10分〜15分はやる。ちゃんとやる人はもっとやるんだろうけど、ま、やらないよりまし。 その後劇的な悪化は免れた。時々「両脚」のつま先がしびれることがある。 |
突然走行不能! 2015.12.6〜 |
12月5日(土)に10kmジョグと90kmバイク。その日の夕方から左足首の腫れと痛みが悪化。歩くのも痛い。翌日のハーフマラソンはDNS。プルだけスイム再開。不意打ちだった。ここまで悪化するとは思わなかった。 ハセツネの不振を受けて「仕切り直し」の練習を開始してからひと月。うまくいった部分もあったが、結局故障中断に陥った。 大田原をまずまずのタイムで走り気をよくした直後だった。その時点ですでに異常のサインはあった。左足首に弱い痛みがあったものの、なんとかごまかせていた。練習しながらそのうち治るかと思ったが・・・。 トドメは90kmバイクだった。太東漁港までのいつもの往復。帰ってきたら足首が腫れていた。即ランニング中断。翌日からプルだけスイムがまた始まった。 医者の見立ては、長母趾伸筋、長趾伸筋炎。要するに足指を曲げ伸ばしする筋肉らしい。なんでそんなところが・・・?きっかけとして可能性があるのはバウンディングなどのジャンプ系筋トレメニューかな? |
前脛骨筋炎だった 2015.12.22 |
12月18日(金)。小町の散歩60分。痛み復活。午後に千葉メディカルセンタースポーツ整形で受診。アキレス腱のときと同じお医者さん。前脛骨筋炎だと。 長母趾伸筋、長趾伸筋も痛めてたんだろうが、一番重症だった部位が前脛骨筋だったというわけか。 その場所に指を当てて足首を上下させると、中でギシギシいってるのがわかる。「ロキソニンゲル1%」とかいう塗り薬をくれた。これでも塗っておとなしくしてろということだな。 まあそれ以上どうしようもあるまい。 12月21日(月)。痛みは消えた(と思う)。小町の散歩オッケー。通常使用でも夕方まで痛みなし。スイムのキック再開。大丈夫だ。明日はジョギング30分だ。 12月22日(火)。ジョグ30分。軽い痛み発生。アイシング。さてどうなるか。 |
終息 2015.12.27 |
12月25日(金)千葉メディカルセンター再受診。「ロキソニンゲル」追加処方。 12月27日(日)ジョグ5km。問題なし。 12月28日(月)ジョグ6km。問題なし。行けるか?希望が出てきた。 ちょうど年末年始の休みに入るので、1月3日まで練習量を漸増させる計画。バイクも20kmから始めることにする。 1月3日(日)ラン16km、バイク84kmまで増量。高滝のDNSを覚悟していたが、走るだけなら何とかなりそうだ。 |
またやった 2013.11.14〜 |
「11月14日にやった」それは確かだ。 木曜の「マシン登り坂走」。ちょっと無理したら痛みが来た。「冷やせば治るか」と思ったら、一向によくならない。「軽いジョグなら・・・。いすみは出たいからなー」、で結局11月30日に5km走ったのが最後。 またもや「プルだけスイム」の日々に突入。 |
「高滝」「若潮」とりやめ 2013.12月中旬 |
「若潮」に間に合わせるにはタイムリミットだった。ためしに4km。でも翌日痛い。フルマラソンの練習なんてできるわけない。 |
そろりと再開 2014.1月中旬 |
夜は湿布、昼間は塗り薬、練習はプルだけスイムの日々。 左は「走れそう」というくらいになったが、右が不安だ。しかしもうガマンも限界。 高滝マラソンが行われているまさにその日。4kmのジョグと16kmのバイク。全部で1時間ちょっと。汗もかかない。 今日はできた。しかし明日は?この繰り返しが続くことになる。 |
少し展望 2014.3月初旬 |
バイクとランの強度(距離も)を少しずつ上げてきた。週末のペース走の距離は20kmになった。2月末には赤羽月例マラソンで10kmを42分弱で走った。彩湖フルも参加できそうだが。スピードはまだまだ。ペース走では1kmあたり10秒くらい遅い。戻るのかな−? |
ローテーション変更 2014.3月中旬 |
24kmのペース走でやや悪化の兆し。火〜金のポイント練習のローテを変更してみることにした。 火:(朝)バイク、(夕)ペース走→(朝)バイク、(夕)ジョグ15km 水:(朝)ジョグ10km、(夕)スイム→(朝)バイク、(夕)マシン坂道 木:(朝)バイク、(夕)マシン坂道→(朝)バイク、(夕)スイム 金:(朝)ジョグ5km、(夕)スイム→(朝)ジョグ15km、(夕)スイム ペース走は土曜のみ。距離は20km上限とする。これで4月フルマラソンがどうなるか。トラシーズンのラントレのシミュレーションにもなる。 |
悪化 2014.3月16日 |
「よこはま月例マラソン」20kmで悪化。前日にバイク100km+ブリックラン10km。無理して出てたら見事に悪化。 2日連続のポイント練習は無理みたいね。ローテーション見直したばっかりだけど、再見直しが必要かね。 |
振り出しに戻る 2014.3月17日〜 |
再びスイムだけの日々に逆戻り。練習再開の見通しは立たない。練習を続けられる状態に戻るまでガマンだ。地道にストレッチ、筋トレ、足首テーピングでスクワットなど。今のところ普通に歩いても若干の痛みがある。この痛みが消えてから1週間はガマンして、それから練習再開だ。 「彩の国」は完走できればよい。皆生、佐渡、ハセツネをきちんとこなせるように慎重に行こう。 |
練習再開 2014.4月26日〜 |
バイク20km、ラン2kmから。 |
ラン中断 2014.5月7日〜 |
ランを15kmまで伸ばしたが、ここで限界。テーピングでバイクのみ継続。この時点で「彩の国」はほとんどDNS決定。 |
ラン再開 2014.5月21日〜 |
2kmから。続かなければ「皆生」も不参加か?ランが少ない分バイクを週5に。6月は距離だけは乗った。1600km。 ランもゆっくり2時間なら走れるようになったので、皆生は参加できそうだ。 |
もうすぐ完治? 2014.7月末〜 |
皆生では、アキレス腱をかばいながらも一応完走。年寄りということもあり、それでもエイジ2位だった。レース後は夜まで断続的にアイシング。劇的な悪化は免れそうだ。 翌週から練習再開。意外と調子いい。練習後の痛みもゼロではなくアイシングは欠かせないが、ランのスピードは徐々に上がり、痛みも徐々に軽くなりつつある。「今度こそ完治するかも?」と思わせる状態だ。 |
あとひといき 2014.11月〜 |
佐渡は不安をかかえながら、それでも皆生よりはまともなランタイムだった。 ハセツネの練習も量だけはこなせた。結果はついてこなかったが。 ハセツネ後2週間は完全休養。右アキレス腱は悪化しなかった。 10月末からマラソンシーズンに移行。11月末の時点でハーフのペース走や1.2kmのインターバル走が問題なくできている。ケアは練習後のアイシングだけでほとんどオーケーだ。 しかし1年たってもまだ・・・。 |
油断はできないが寛解? 2015.1月末 |
若潮マラソンではレース中の痛みはほとんどなかった。走り終わって少し痛かったのでアイシングをして、消炎剤を塗った。それで完了。 完治、ではないな。これからも油断すれば再発する恐れはある。だから寛解だ。再発の前兆はわかるようになったので、うまく付き合っていこう。 2012年の8月に発症してから、断続的に2年半だ。長かったな−。2015年も「川の道」のコースを走る予定だが、また再発しないように慎重に行こう。 |
ぶっつけ川の道 2013.4.30〜 |
冬シーズン後のバイク朝練はスムーズに始まった。日の出の時間を考慮し、3月初旬の60分から始まって、順調に乗れていた。「トライアスロンへの備えは万全だ!」・・・だが。 ウルトラの備えは全くだった。何もしなかった。 そういう状態で「川の道」に参加。練習の裏付けのない走行計画とペース配分は全く役に立たず。無理に無理を重ねて400kmまで引っ張ったものの、結局リタイヤ。 自分では「無理しない」段階で終わったつもりだった。んが! |
自己過信の練習再開 〜5月中旬 |
疲れ切ったという感じではなかった。アキレス腱に自覚的な痛みがあった記憶もない。 だから「川の道」の翌週からフルスロットルで練習再開。これが再発のきっかけだった。文字通り何もしないで1週間くらい安静にしていれば、無事に乗り越えられたかもしれない。 |
再発・彩の国断念 5月中旬 |
「ガマンすればバイクには乗れるが、ランが1kmも持たない」。再びプル練が始まった。しかし「なんとか彩の国」という意識があったので1週間で終わり。認識が甘かった。 「さてどうかな?」で走ってみたがやっぱりダメ。「彩の国」DNS決定。 |
皆生辞退 6月初旬 |
「皆生はなんとしても」と、プル練に戻る。逆算すると6月初旬から練習再開できなければ皆生は難しい。先に立ったのがこの理屈だった。でもそんなに都合良く行くわけもなし。 DNSとなった「彩の国」の当日、6月3日。再びバイクに乗る。なんとか乗れる。しかしランはやはり無理だ。 とりあえずバイクだけでも乗っておこう。もう少ししたら良くなってランもできるようになるかも。しかし全くダメだった。「バイクに乗っている限りは良くならない」と観念。 「皆生」は辞退した。 ナンバー確定前だったので、参加費は大部分が返ってきた。このお金で「ATミニ」なる低周波治療器を購入。アイシングとの併用で治療に専念することにした。 |
最後の賭け 7月〜 |
ここに至ってようやく諦観できるようになった。治るまでガマン。佐渡がダメならハセツネ、ハセツネがダメならその次のマラソン。 しかし「佐渡」は自分にとっての最大目標レースだ。なんとか出たい。練習再開を6月最後の土日に定めた。 そして6月29日。より1日早い6月28日。待ちきれなかったのだ。バイク40km、ラン40分。できた!「佐渡」間に合うかも? |
教訓 |
大きなレースの後は1週間は「何もしないで」休むこと。 今回わかったけど、1週間くらい休んでもレベルがた落ちということはないよ。 |
増量 2012.7月末 |
2012年7月の皆生トライアスロンではランで4時間を切れなかった。これがとてもショックで、「佐渡に向けてランを強化!」ということになった。 30km走を週1回入れた。ジョグでつなぐ日は10kmではなく15km。スピードも5分/kmにこだわった。つまり「より長く、そこそこ速く」。走行距離は通常の1.5倍ペースになった。 |
痛み 2012.8月中旬 |
本来アクティブレストのつなぎジョグがレストではなくなった。「疲れるな−」と思いながら走ったが、「ここでがんばらないと佐渡でまた4時間だぞ」という思いが無理をさせてしまった。 8月中旬にはアキレス腱に痛みが出始めた。「アキレス腱炎」の可能性は全く頭に浮かばす、「今が乗り越えどころ」とガマンした。起床直後に階段を下りるとき、痛みのため手すりに頼るようになったが、異常なことだとは思えなくなっていた。 |
小康 2012.8月末 |
佐渡2週間前から調整のため練習を落とした。痛みは幾分少なくなった。 レース4日前からはランの距離も5km止まりとなった。 レース前日の土曜には痛みはほとんど消えていた。この時点では「アキレス腱炎の痛みが治まった」ではなく、「レース前の休養で疲れがとれた」と考えていた。 |
とどめ 2012.9.2 |
レースではランの20kmくらいまで痛みは出なかった。15kmあたりまでは5分/kmで走れていたが、20kmまでに6分/kmに落ちた。25kmを過ぎたあたり(新穂T字路の手前)で両アキレス腱に激しい痛みを感じた。ただ事ではないと思った。失速ではなく「走行不能=歩き」という可能性が出てきた。 歩きだけは避けたかったので、ギリギリ走れるペースを維持することにした。それでも痛む。痛みを我慢しながらフルマラソンを走りきった。 |
まだ気づかない 2012.9.4 |
フィニッシュ後すぐに氷をもらってアイシングをした。「これで明日になれば痛みもなくるだろう」と考えていたのだからおめでたい。 帰宅してからもとても走れる状態ではない。アキレス腱には「タイガーバーム」を塗り続けたが一向によくならない。 |
「アキレス腱炎だ!」 2012.9.5 |
あまり痛みが引かないので、「ひょっとして」とネットで調べてみた。遅いね−。8月中旬からの痛みは「アキレス腱炎」にぴったり符合するものだった。治療法は「安静」。 とりあえず走らないことにして、市販の湿布薬を買ってきたが、ハセツネも近い。少しでも早く治したいので、9月8日(土)に整形外科を受診し、飲み薬と塗り薬と湿布薬をもらってきた。 |
練習再開1 2012.9.11 |
日常生活の動きではほとんど痛みを感じなくなったので、練習を再開した。といっても完治していないことは感覚でわかっている。まずは5kmのジョグから。走っているうちに痛みが消えてくれれば、「走りながら治す」ことも可能のように思えるが。 |
練習再開2 2012.9.13 |
笠森で走ってみる。片道45分とスローペースだが、復路の終盤で左アキレス腱に痛みが。ラストは歩き。 |
練習中断 2012.9.14 |
左のアキレス腱の痛みが増悪。歩いても痛む。「走りながら治す」は却下。 |
練習再開即中断 2012.9.23 |
日常の歩行では痛みはなくなった。押すとやや痛みがあるものの軽い。5km走ってみるつもりでジョグ開始。1kmで痛みが出た。左だ。Uターン。帰りは殆ど歩き。またもや中断。今度はスクワットも控えよう。 |
スイムとスクワット | 火曜以外はプルブイをはさんでスイム2000m〜3000m。飽きるなー。更にハーフスクワット。痛みが悪化しないことを確認しながら200回からはじめて1000回まで増やした。かかとが1cmくらい高い位置になるようにして行ったが。 |
ハセツネDNS | ハセツネはあきらめた。平地を歩いても痛みがあるのに、登りを走れるワケがない。無念・・・・。 |
バイクもだめ |
ランニングはダメでもゆっくりバイクなら、と思ったらやっぱりダメ。 ホントはハーフスクワットもよくないのだろうが、このトシでそれすらやらないと、落ちた筋力が二度と復活しそうもないので、完治が遅れるのを承知でやる。 |
あきらめ・・・ |
トレーニングはスイムとストレッチ、たまにハーフスクワット。くる日もくる日も。 毎晩風呂でアキレス腱をゆっくりと伸ばす。風呂から上がったら湿布をして、はがれないようにテーピング。さらに足首にサポーターを装着して就寝。翌日夕方にプールに入るまでこの状態。 練習記録をつけなくなった。回復の見通しもたたず、そもそも治るかどうかもわからない。記録をつける気も失せた。しかしそれでも、「使わない」ことで少しずつ良くなっていたのだと思う。ケガのときは、この「あきらめ」が大事なようだ。 だから練習再開がいつだったか今(2013.1.31)となっては思い出せない。11月の初旬だった(と思う)。 |
ゆっくり復帰へ 2012.11.初旬 |
走れないうちに残暑は終わり、すっかり秋になった。ジョグを再開してみた。シューズのインソールを別売りのヤツに変え、症状の重い左足にはサポーターを巻いておそるおそる走り始めた。 大田原のDNSは決定的だったが、勝浦の10kmならなんとかなるかもしれないと思った。 11月18日勝浦鳴海ロードレース10kmを45分で完走。 12月2日いすみ健康マラソンハーフを1時間32分で完走。 通常の練習メニューに復帰。 1月12日高滝湖マラソンハーフを1時間27分で完走。 1月27日館山若潮マラソンフルを3時間6分台で完走。 走れない間にウェイトが2kg増えた。 |
永く走るには |
とりあえず競技に復帰はできた。しかしこの先いつまで続けられるかは心がけ次第だ。 アキレス腱は左右ともぷっくりと脹れている。切り傷などが治ったあとに皮膚が盛り上がるのと一緒だ。こうなったアキレス腱は柔軟性が落ち、衝撃に対してもろくなるそうだ。不十分なアップでいきなりスピードを上げたり、登りでがんばりすぎたりすると「ブチッ」となる。 走れなくなったらおしまいだ。記録がどうだろうが走れなくなるよりはマシ、の心構えでやっていこう。 |
特訓 | 7月の富士登山競走は散々だった。山岳、ウルトラマラソンの記録はこの3年急降下だ。「これではマズイ!」と、8月からこれまでなおざりにしてきた「あるトレーニング」を始めた。これで効果がなければもう打つ手なしだ。そしてその効果の実証として山岳耐久レースを位置づけた。 |
膝を痛めた | 山岳耐久レースの1週間前。最後の山ランの登りで踏ん張ったとき、右ひざに軽い痛みを感じた。練習を早めに切り上げ、アイシングをした。レースまでの1週間、痛みは消えたが違和感は残った。 |
覚悟はあった | 「レース本番でヤッちゃうかな?でもこれがシーズン最後のレースだし、終わったら休めるから」4月からほぼ月イチで大きなレースをこなしてきて、山岳耐久レースがシーズンの締めくくりだった。これが終わると次は翌年1月の若潮マラソンだ。「ひと月くらいジョグですごしてもいいや」←アマイ!!! |
帰りの車中で疼痛が・・・ | 山岳耐久レースは終わった。予想通り、後半は膝の痛みに泣いた。ラストスパートどころではない。しかし、記録は去年より2時間近く良かった。「あるトレーニング」の効果は実証された。次のウルトラが楽しみだ。いや若潮マラソンももしかしたらまたサブスリーで走れるかもしれない。期待は膨らむ。しかし帰りの車の中、右ひざにはズキズキと痛みが走る。これほどの痛みはこれまで経験がない。 |
2〜3日休めば・・・ | 帰宅後早速アイシング。痛みはかなり軽減されたものの、普通に歩いても痛い。「2〜3日休んで痛みがなくなったらゆっくりのジョギングから始めよう」今思えばあまりの認識不足。 |
練習再開してみたが・・・・ | 山耐後5日。普通に歩くには痛みはない。というわけで練習再開した。ところが! 10kmのジョグ、最後の1kmで痛み。2日休んでジョグ5km、違和感。翌日ジョグ10km、激しい痛みで最後の4kmは歩いたり走ったり。痛みは膝の前後左右の広範囲。 |
大変だ病院に行こう | 整形外科受診を決意した。山岳耐久レースの10日後だった。近所の整形外科でレントゲンを撮ってもらった。しかし、レントゲンは骨だけしか写らない。もちろん骨には異常はない(あったらそれこそ大変だ)。痛めているのは軟骨や靭帯だろう。まあしばらく走らないで治しましょう、ということで塗り薬と湿布薬をもらった。1週間を目安にランニングを中止とした。 |
心肺機能がシンパイだ | シャレじゃなく大問題だ。トシがトシだけに、いったん落ちると戻すのが大変そうだし、そもそも戻るのか?このトシで。 |
バイクも乗れない | 膝痛で走れなくても自転車には乗れる場合もある、という記事をネットで見つけた。乗っちゃいました。バイクに。しかも75km。「ラン休」開始後1週間で。翌日「ん?意外とダイジョブかも?」通勤ジョグ往路5kmOK。「よしいいぞ」。復路5km、4kmで走行不能に。「ラン休」1週間追加! |
スイムは手だけ | 心肺機能維持のため、すでに毎日スイムとなっている。ウェイト維持のため3000m1本とか、500m×6本とか、結構精神的につらいメニューだ。始めはキックも使った普通のクロールだったが、そのうち右膝に痛みが出始め、スイムはプルだけ、壁を蹴るのも左足だけという状態になった。なおさら飽きる。でもやるしかない。 |
MRI | 山耐からひと月が経過した。「これだけ休めばもういいだろう」「よしまずは30分のジョグで様子を見よう」3kmで走れなくなった。一向に良くなっていないどころか、かえって悪化しているかもしれない。大きな病院でMRIを撮ってもらった。画像に出るような異常はなかった。 |
結局走らないこと | 「良くなるまでは走らない」という当たり前のことをようやく実行せざるを得なくなった。膝頭を押すと痛みがある。この圧痛がなくなるまでは少なくとも「ラン休」、「バイク休」、「プルだけスイム」をやるしかない、と腹をくくった。痛みがなくなったら、軽いジョグで様子を見ることにしよう。 |